子どもの心の理解と対応

子どもは悩みのタネ
子育ては重労働
でも、じっくりつきあってみると
子どもって、おもしろい

○子どもの心の発達 ○思春期の発達課題 ○誰にでもある小さなつまづき ○子どもの症状は何のサイン?
○学校に行かない ○落ち着きのない子どもたち ○心の傷 ○子どもがかわいいと思えない ○子どもはかわいいけれど

子どもの心の発達

 赤ちゃんが生まれました。お母さんの胸にぴったりと顔をつけて抱っこされています。かわいくてお母さんはいろいろと話しかけます。生まれる前から聞きなれている音に囲まれて赤ちゃんはすっかり安心しています。おなかがすいた、おむつがぬれたなど、嫌なことがあると赤ちゃんは泣きます。その声を聞きつけてすぐにその嫌なものを取り除いてくれる人 ― そういう人がいるから大丈夫という安心感が育ってきます。この安心感がこの後ずっと周りの人と付き合っていくときの基礎になります。
 そのうち、いつも世話してくれる人とそうでない人の区別が付くようになります。お母さん以外の人が抱っこしようとすると大泣きします。いわゆる“人見知り”です。でも、いつもお母さんがいてくれるわけではありません。もう少し大きくなるとタオルやぬいぐるみをギュッと握って我慢することを覚えます。必死で握っているのでそう簡単には手放せません。
 1歳過ぎると歩けるようになります。面白そうなものを見つけるとトコトコと近寄って、びっくりするとあわててお母さんのそばに戻ります。何もかもすべて他人任せだったのに少しずつ自分でできることが増えてきます。いろんなことがやってみたくて食事の時もお茶碗の中に手を突っ込んだりします。トイレット・トレーニングが始まると大変です。おまるやトイレに座らせて待つことしばし、あきらめて降ろしたところでジャーというのはよくあることです。自分でできると思うとやってみたいことが増えてきます。でも子どものやってみたいことと親のやって欲しいことはなかなか一致しません。親にわざと逆らっているかのように思われて“反抗期”と言ったりします。
 友だちとの関係は、2歳ぐらいまでは別々の遊びをしていても一緒に遊んだ気でいます。ことばや物のやりとりをしながら遊べるのが3歳頃、きちんとルールを理解して遊ぶのが6歳頃です。ルールがわからないと集団生活になかなか入ることができません。小学校の3・4年生になると友だちと一緒に過ごす時間が急に長くなります。放課後も休みの日も、今まで家族と過ごすことの多かった時間が友だちとの時間になってくるからです。同年齢のグループ作りのできた子どもは次の思春期を友だちと支え合いながら過ごします。
 でも、友だちがたくさんいないといけない、というわけではありません。

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思春期の発達課題

 「中学生は扱いにくい」と、年頃の子どもを持つお母さんたちが集まるとこぼしています。小学校の高学年になる頃からなんだかやたらと突っ掛かってくるように感じられます。ついこの間まで“大事なお母さん”“頼りになるお父さん”だったはずなのに、ちょっとしたことで親を批判するようになります。親だけでなく大人全体に対して批判的です。一応理屈を言うのですが、親から見れば独りよがりでいわゆる社会常識とは合わないように思われて「世の中それでは通らんぞ」とむきになって言い返したりします。壮絶な親子ゲンカが始まります。その一方で、やたら甘えた感じで近寄って来たりするので、そのギャップに親はすっかり面食らってしまいます。
 どうしてこのような変化が起こって来るのでしょうか。生理が始まったり声変わりしたりして否応無く体は大人になろうとしていると気が付いた時、子どもはとても不安になります。今まで、大人になるというのはただ体が大きくなってお父さんお母さんみたいになるんだという程度のイメージしか持っていないからです。そんな単純な話ではない、と分かった時“大人になりたくない”と思う子どもたちがいます。一時的なものを含めればかなりの割合になるでしょう。渋々ながらでも大人になることを受け入れると、次は“自分はどういう大人になっていくのか”という問いの答えを見つけないといけません。
 一番身近な大人の見本は男の子にとっては父親であり、女の子にとっては母親です。でも見本だからといってそのままそのとおりに真似するわけではありません。“自分”を見失ってしまうからです。まず自分というものをはっきりさせるために一番影響力の大きい親から“自分”を切り離さなくてはなりません。自分は親とは違う一人の人間なのだ、という自分自身と他者に対する主張が親に対する反発という形で現れるのです。でも、今まで庇護してくれた親から離れるのはとても心細いことです。湧いてくる不安をなだめるために、少し甘えてみるのです。
 親から距離をとるぶん友達との関係が親密になります。親のお説教よりも友達の何げない一言の方がずっしりと響いたりします。異性も気になり始めます。周りを見、助けられながら少しずつ大人になっていくのです。自立した大人になった時、親との関係は再びうまくいっているはずです。

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誰にでもある小さなつまづき

 夜泣きがひどい、離乳食の食べ方が少ない、ことばが遅い、おむつがなかなかとれないなど、子どもの成長が何の心配も無く順調に進むことはほとんどありません。でも、そのことで大変な事になってしまうこともめったにありません。心の成長でも同じことが言えます。むしろつまずきを乗り越えることで、飛躍的に成長していくことも多いのです。
 弟や妹が生まれたとき、赤ちゃんがえりしてしまう子どもがいます。周りの大人の関心が全部赤ちゃんに集中してしまうのを感じて、赤ちゃんじゃないとかわいがってもらえないのかな、と思い込んでしまうのでしょう。そうではないと分かると、急にしっかりしたお兄さんお姉さんになったりします。
 幼稚園から小学校に入る頃に、頻繁にまばたきするなどチックといわれる症状が目立つ事があります。几帳面だったり緊張しやすかったりして、集団生活が少し苦手な子どもに多いと言われていますが、かなりの子どもに一過性に現れます。でも「あらっ」と思って見ているうちに、いつの間にか無くなってしまうようです。幼稚園バスが来る時間になると、おなかが痛くなって幼稚園に行きそびれてしまう子もいます。幼稚園の楽しさとお家で過ごす快適さなど、いろいろなものが天秤にかけられています。
 お友達にサービスしようと自分の宝物を持って行って見せているうちに、家にあるいろいろなものを持ち出してしまうこともあります。金銭感覚が育ってないので、思わぬ大金だったりして大騒ぎになります。秘密の場所を作ってそこにいろいろなものを隠し、仲間以外には“内緒”という遊びでも、隠すものによっては問題になってしまいます。
 友だちと話しているうちに自分の家庭のやり方が間違っているように思われて、なんだか帰りたくなくなって友達の家を泊まり歩いている子もいます。親と気持ちの上で距離をとろうとしたのに、現実でも距離をとってしまった例です。逆に自分の部屋に閉じこもってしまう場合もあります。
 寄せられる相談の中のごく一部を挙げてみましたが、自分や自分の子どもには全く無関係、思い当たることはない、と言い切れる人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。実際に行動には移さなかったけどやりたいと思っていた、やろうとしたけど偶然じゃまが入ってできなかった、ということはなかったでしょうか。心が成長して行く時には、一見問題に見えることが重要なポイントになってくることがあるのです。周りが少し手助けすることでうまくステップアップして行きます。

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子どもの症状は何のサイン?

 幼稚園や保育園で、すぐ噛み付いてしまう子がいます。お友だちと遊んでいて、何かトラブルが起こると噛み付いてしまうのです。どちらかというと言葉の発達が遅めの子どもに多いようです。うまく言葉で表現できないもどかしさもあいまって、ちょっと強すぎる自己主張になっているのです。
 理由がないのに、やたら周りの子を叩く子もいます。一緒に遊びたいのにどうやったらいいのか分からず、叩いて関心を引こうとしているのでしょうか。家でいつも親に叩かれていて、それが友達との間で再現されているのかもしれません。こうした虐待を受けた子どもは落ち着きがなかったり、家出・万引きを繰り返すこともあります。
 ことばの発達が不十分で具体的なことしか考えられない子どもにとって、理解の難しい状況はたくさんあります。よくわからないのでよけい不満やイライラが募って爆発してしまい、周囲から問題視されたりします。
 問題行動以外のサインもあります。不登校の子どもたちの多くが、休み始めに頭痛や腹痛を訴えます。表情を見ていると休みたくて仮病を使っているわけではなさそうです。大人でも難しい問題を抱え込んでしまった時には、つい「あー、頭が痛い!」と言ってしまいます。大人なら頭が痛くなるのは相当考え込んだときですが、子どもでは心と体の働きが大人ほどはっきりと分かれていないので、しばしば心の負担が体の不調となって現れてきます。心に原因があるというと、本当は痛くないのに気のせいでそう思っていると誤解されることがあります。でも本人は本当に痛くてつらいのです。その時点で周りの人が「こんな状態で学校に行くのは大変だね」と思ってあげられたら、その子どもは時々休みながらも登校を続けられるかもしれません。全然わからないままに「ちょっと痛いぐらいなら頑張って学校に行きなさい」と言われてしまうと、今度は別の形でSOSを出さなくてはならなくなります。
 子どもが症状を出して、親に連れられて相談に来ました。何度か通ううちに、本人は理由をつけて来なくなったのに親はちゃんと通い続けた、ということがありました。親が相談相手を求めていたのです。子どもの症状が親と相談機関を結び付けたことになります。
 このように、子どもの出してくる症状にはいろいろな意味が含まれています。ただ、なくしてしまえば良い、というわけにはいきません。

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学校に行かない

 不登校ということばを、最近よく見聞きするようになりました。少し前は登校拒否という言い方の方が多かったと思います。前の晩は登校するつもりできちんと用意をするのだけれど、翌日になるとどうしても学校に行けなくて苦しんでいる子どもたちを見て “この子たちは決して学校を拒否しているわけじゃない” と呼び方を変えたのです。でも、不登校というのは登校していない状態を指しているだけで、数が増えるとともにこういうパターン以外のいろいろなケースが含まれるようになりました。
 すべての不登校の子どもたちに通用する対応マニュアルというものはありません。でも、子どもたちは不登校という行動を通して何かを訴えているので、それを無視して “とにかく学校に行かせよう” というのは多分うまくいきません。“不登校のとき登校刺激をしない” ということばはだいぶ世間に知れ渡ったようですが、親にとってはいくら頭ではわかっていてもなかなかできることではありません。このままずっと家に閉じこもってしまったらどうしよう、学校にも行けないでこの子どうやって食べていくのだろうなど、心配し始めるときりがありません。でも “今” のことをまず考えることにしましょう。
 子どもたちは子どもたちなりに、学校に行く楽しみも見つけていたはずです。教育制度としての学校を否定して不登校をしている子どもでも、文通とかインターネットを使って何らかの繋がりを求めています。ほとんどの子どもは孤立することを望んではいないのです。だから休み始めるまででも、ずい分無理をして学校に行っていたにちがいありません。とにかく、ひと休みすることが必要ではないでしょうか。
 少し疲れが取れたころ、いろいろなことを語ってくれるはずです。学校の事ばかりでなく、親への非難も入っているかもしれません。いまさらどうしようもないことや、聞いているのがうんざりするような些細な出来事まで聞かされるかもしれません。親が “とても付き合いきれない!” と思ったら、どこかで相談したりカウンセリングを受けたりするとよいでしょう。
 ここからは、ケース・バイ・ケースです。休み始めた理由、その家庭の価値観、学校の対応、その子の気質、いろいろなことが関係してその後の経過が決まってきます。ただ一つだけはっきりしているのは、人生に無駄な時間はないということ。つまり学校を休んで自分を見つめ直すことでその子は確実に成長していくのです。

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落ち着きのない子どもたち

 大人から見れば、幼い子どもはちっともじっとしていなくてエネルギーにあふれ、みんな “多動” に見えます。でも小学校に入学するころには、きちんとすわっていなくてはいけない状況を理解するようになり、一定時間すわっていられるのが普通です。今、話題になっている学級崩壊で言われている落ち着きのない子どもの一部は、注意欠陥多動性障害(略してADHD)の子どもです。周りの状況を把握するシステムがうまく作動していないのです。
 ADHDは注意の障害、多動性、衝動性の三つが主な症状です。相手の話に注意を集中させて聞くことが難しく、すぐ他のことに気をとられる、すぐに席から立って歩き回る、すわっていても絶えず手足をもぞもぞ動かしている、順番を待つことができずに四六時中周りの人にちょっかいを出すなどがあります。このような症状があれば当然何度も叱られますし、学習も身についていかないので劣等感が強くなります。周りの子どもたちからも馬鹿にされ、いじめられたりして孤立感が深まり、ますます付き合いにくい子になってしまいます。
 ADHDの子どもは、ふざけたりやる気がなかったりするのではなくて、周りからの情報をうまく処理して反応することが苦手なので、その部分を少し手助けしてあげることが必要です。例えば先生がクラス全体に話しかけたとき、ADHDの子どもは自分にも話しかけられているとは思っていません。それで、指示されたこととは違うことをやり始めてしまうのです。一言「君もだよ」と付け加えてもらえればやれることも増えてきます。だらだらとした文章で言われるのも苦手です。ポイントとなる単語だけ繰り返したり絵や実物を示してもらったりすると理解し易くなります。
 原因として小脳の発育不全が考えられていることもあり、ADHDの治療には薬がよく使われます。小さな子どもに薬を使うことに抵抗を感じる人も多いでしょうが、症状を軽減して学校など集団に適応していくことは心の成長にプラスになる面も多く、うまく活用する方がよいと思います。
 ADHDの子どもは、とにかく騒々しくて注意してもちっとも言うことを聞かないと思われがちです。それで、しつけがされていないとか、育て方が悪いとか、親、特に母親が責められてしまうことが多いのですが、本当は誰のせいでもない、ということをわかっていただけたらと思います。

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心の傷

 阪神・淡路大震災以降、外傷後ストレス障害(略してPTSD)という言葉が有名になり、何か事件が起こる度にそのことが心の傷となって残るのではないかと配慮されるようになりました。今までもいじめられた子は暗い性格になるとか、いろいろな辛い体験が当人に影響するようなことは言われていました。でもそれを何とか手当していこう、と言われるようになったのは最近のことです。
 典型的なPTSDでは、自分の生命が脅かされるような強い恐怖感を感じる体験の後で、そのことを思い出すのを避けるために感覚が麻痺したり、感情が抑えられて抑うつ的になってしまったりします。地震のような災害や事故、犯罪などのように衝撃が大きいものばかりではなく、児童虐待やいじめなど、そのとき受ける衝撃そのものはそれほどではなくても、長い期間に渡ってその状況に置かれていると、やはり心に大きな傷を負うことになります。
 児童虐待は、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト(養育放棄)に分けられ、どの場合も心が傷つけられます。中でも性的虐待ではほとんど誰にも知られることがなく、自分から語ることもできず、仮に話したとしても信用されなかったり、逆に落ち度があったかのように責められたりで20年、30年経ってもなお傷が癒されずに苦しんでいる人がいます。
 小学校でいじめられ、中学校に行っても続けていじめられることがあります。友達を通して学んでいくことの多い思春期にいじめに遭い、それを解決できないままでいると、大人になってからも周りの人に対してどこか臆病でなかなかうまく付き合えなかったりするようです。
 PTSDでは体験を話し合うことが良いと言われています。確かに語って気持ちを整理していくことで、症状が改善していくことがあります。孤立感や自責の念を和らげることには役に立つと思います。でも、体験を語ることはその辛い体験をもう一度経験することと同じで、下手なやりかたをすれば更に傷口を広げてしまう恐れもあります。
 阪神・淡路大震災では多くの子どもがPTSDの反応を示しました。でも、同じような体験をしてもPTSDになる子とならない子がいました。それまで十分に守られていると感じて育ち、大変な出来事の後でも安心できる縁(よすが)のあった子どもたちは大きな傷を受けないですんだのかもしれません。

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子どもがかわいいと思えない

 子どもを連れて歩いていると、 「かわいいお子さんですね」と声をかけられたりします。そう言われて親として悪い気はしません。でも、中にはちょっと複雑な気もちの人もいるのです。
 「子どもはかわいい、ましてや『自分の子どもだものかわいいに決まってる』と家族も友人も言う。でもこの子のお陰で私の人生めちゃめちゃ。ミルクの飲み方が下手で、一度にたくさん飲まないからしょっちゅう泣いていたし、本に書いてあるとおりに作った離乳食は、舌で押し出して口の周りがベタベタ。自分で食べるようにした方がいいというからスプーンを持たせたら、それでテーブルを叩いて、食べ物が飛び散ってもう大変。私は一生懸命やっているのに、『健診で体重が少なめですね』、と言われたし、この子がいると自分がだめな母親だと言われ続けているような気がする。何もかもこの子のせいなのにどうしてかわいいと思えるの?確かに寝顔はかわいいと思うこともあるけど・・・」
 とても真面目なお母さんなのです。良いお母さんになり、上手な子育てをして、良い子を育てようと頑張っているのです。でも、子育ては学校でテストを解く時のような正解がありません。親が頑張ればうまくいくというのでもありません。中には、親が当てにならないからと、子どもがしっかりする、ということもあります。こうすれば必ずこうなる、と言えないのです。だからうまくやろうとすればするほど、どうしていいのか分からなくなって、時にはそのいらだちを子どもにぶつけてしまうことになるのです。つい手荒く扱ったりひどい言葉を投げつけたりして、よけい自己嫌悪に陥って惨めな気持ちになるのです。
 ところで “良い母親” というのは、どんな母親のことなのでしょうか。いつも子どものことを第一に考え、他のことを犠牲にしてでも親としてできることは何でもしてやることなのでしょうか?“良い”という漠然とした言い方に捕らわれて果てしなく理想を追うあまり、目の前にいる子どもが見えなくなってしまうことがあります。親子であっても人間関係ですから相性もあります。かわいがらねば、という義務感が先に立つと、自然に湧いてくる感情を押し殺してしまうこともあります。どうしたらもう少し楽な気持ちで子どもと向き合えるか、誰かと一緒に考えてみてはどうでしょう。

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子どもはかわいいけれど

 欲しくて楽しみにしていた赤ちゃんです。もうかわいくてたまりません。でも、子どもがいると困ることがあるということが少しずつわかってきました。それまで、毎朝お掃除していたのに、赤ちゃんが寝ていると掃除機をかけることができません。お買い物も、首のすわっていない赤ちゃんを抱っこしていては品物を選ぶことができません。よちよち歩きの子は、お菓子売り場からなかなか離れません。今まで段取りよくやれていた家事が、一向にはかどらないのです。つい「寝ている間に」と思ってしまいます。「このあいだ30分大丈夫だったから、今度は1時間位いいかな」と、少しずつ赤ちゃんを家に寝かせたまま出かける時間が長くなります。車で出かけた時には、子どもが寝てしまうと起こすのがかわいそうなので、子どもを車に残して急いで買い物を済ませたりします。
 小さい子どもがいたら誰にも身に覚えのありそうなこんな行動が、「児童虐待です」と言われたら驚かれるかもしれません。実際、アメリカに暮らす日本人が、よく通報されて面食らうそうです。ごく普通にかわいがって育てているつもりなのに・・・。でも、夏になると必ず車の中に放置された子どもが熱中症になったというニュースが流れます。パワーウィンドーで手や首を挟んでしまう事故もあります。家の中にもお風呂場やベランダなど、危険な場所はたくさんあります。事故に遭わなかったのは運がよかっただけなのです。そういう安全の保障されていない場所に、子どもだけで置いておく不適切な対応が虐待にあたると考えられるのです。
 子どもに語りかけることば、特に叱るときの口調が、自分自身が子どもだったころ親に言われたそのままだ、ということに気が付いてはっとすることがあります。今よりもう少し前の時代は、父親の権威がまだあって、叩いてしつけるのもよく行われていたのではないでしょうか。父親が「会社人間」で、子育てを一人で任された母親の愚痴を聞かされて育った人もいるでしょう。そのことを自分自身が良いと思っているかどうかに関わり無く、無意識の内に自分が育てられたように子どもを育てているのです。 
 子どもがかわいいから虐待なんてしていないつもりなのに、周囲から育て方を非難されることがあります。マルトリートメント(不適切な関わり)と言われる広い意味での虐待に当てはまっているかもしれません。一人で頑張っているときに陥り易い落とし穴です。周りには手伝ってあげようと思って見てくれている人もきっといるはずです。ちょっと勇気を出して、声をかけ合ってみてはいかがでしょう。

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